こんにちは!アジアマガジン編集部です!アジアマガジンでは、アジアで働きたい方・アジアで働いている方を応援しています。今回は、カンボジアの歴史についてお伝えしたいと思っておます。皆さんはカンボジアというと、どのようなイメージを持たれるでしょうか。
地雷があったり、アンコールワットがあったり、東南アジアの中でも、発展途上の国のイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか。実際は、もう首都のブノンペンには多くの日系企業が進出していたりという事実もあるほど、経済発展が進んでいます。ただ、今のカンボジア王国の体制になったのは、1993年という事実もあります。今回は、少しだけでもカンボジアの歴史を紹介できればと思います。
自らフランスの保護国になったカンボジア??
まず、皆さんには、日本とは違い、「大陸続きのカンボジアならでは」の歴史があるということを理解していただければと思います。というのも、ざっくりカンボジアの歴史を見てみると、他国からの影響をとても受けているからです。
カンボジアは1868年にフランスの保護国化になっています。実はカンボジアはフランスの保護化に進んで入らざる負えなくなった背景があります。というのも、カンボジアはタイとベトナムの両方から攻められている背景があり、どうしようもなく第3者を頼らざる負えなかったからです。
第二次世界大戦以降のカンボジア
この世界大戦ではフランスがドイツに負けたことは有名ですね。フランスが負けるということは、フランスが支配していた国に、隙きができることを意味します。そこで、カンボジアに進駐したのがドイツと同盟を結んでいた日本になります。ただ、この世界大戦で日本・ドイツの敗戦が決まり、日本もカンボジアが撤退しました。ここでようやくカンボジアが自由になると思われましたが、カンボジアはフランスの支配下に入ることになってしまいます。
カンボジアの黒い歴史
「ポルポト政権」「クメール・ルージュ」という言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。この時代に行われた知識階級の人々が大量に虐殺されたことは、カンボジアの成長を止めたと言っても、過言ではありません。また、800万人の人口がいる国で150万人〜200万人が虐殺されたというスケールで考えてみると、どんなに残酷なものだったかも想像しやすいのではないでしょうか。
それでは、もう少し詳しく見ていきます。この時代は民主カンプチア時代と呼ばれ、西暦でいうと1976年〜1979年となります。この民主カンプチア時代を考えるにはもう少し遡らなければいけません。歴史に詳しい方はご存知かもしれませんが、カンボジアがフランスから独立したのは、1953年となります。そんなカンボジアが直面したのがベトナム戦争でした。
ベトナム戦争にはカンボジアは関与してませんが、隣国のできごとなので、当然、カンボジアに影響が出ていしまいます。これも日本にはない、「陸続きの国であるからこそ」のことです。このときのカンボジア国王シハヌークはホーチミン率いる北ベトナム側についてました。ところが、シハヌークが外遊中に親米派がクーデターを起こし、クメール共和国が樹立します。
このときに、ポルポトが登場します。しかも、国民に人気があったシハヌークを担いで登場しました。このポルポトは最初は農民の見方として登場し、人気を集めていました。ただ、ポルポトは、いざ政権を取ると、シハヌークも監禁して、事実上の傀儡政権として、頭角を現しました。
これが残酷な虐殺で有名なクメール・ルージュとなります。その代表のポルポトが唱えていたのは、原子共産主義でした。これは、中国の毛沢東の考え方と同じであり、ポルポトは毛沢東をリスペクトしていたことでも有名です。原子共産主義とは端的に言うと、「昔のみんなで協力しあって暮らしていた時代」を目指す主義になります。
この主義で考えると、知識を持っている者は悪となります。そこから知識階級の人々はみんな虐殺の対象となったのです。(→知識を持った人がいると反乱を起こすという懸念があるからでもあります)その対象は、勉学に少しでも励もうと思うだけでも、対象となっていたようでした。
カンボジアがこの時に慢性的な食料不足だったため、知識階級の人々を強制的に農作業もさせていました。学問は一切の悪とされていたため、農作業もとても非科学的に行われ、さらに、飢饉が酷くなったことも有名です。繰り返しになりますが、この時代に、800万人の人口がいる国で150万人〜200万人が虐殺されました。
終止符を打ったのも外国からの影響
この恐怖政治をもたらしたのも外国でしたが、皮肉にも、この恐怖政治に終止符を打ったのも、外国でした。恐怖政治が終わりを告げるきっかけとなったのは、ベトナム戦争が終了したことでした。ベトナムがカンボジアを攻め、その際にクメール・ルージュも一緒に掃討され、カンボジアが恐怖政治から開放されました。ただ、このクメール・ルージュでたくさんの知識階級の人々がいなくなったので、カンボジアの発展には、今でも影響が残っているとされています。
おわりに
みなさんいかがでしたでしょうか。今回、ご紹介させていただいたことは知っている人も多いのではないでしょうか。こんな近年に残酷なことが起きていたという現実も踏まえるだけでも、日頃の東南アジアに関するニュースなどの受け取り方も違うのではないでしょうか。アジアマガジンでは、引き続きアジアで働きたい方・アジアで働いている方に役立つような情報をお届けしていきます。
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