” 22歳女性がミャンマーで起業中。東京とミャンマーで半年間ずつ生活。” アジア就職ケーススタディ(Vol.8)

アジアマガジンでは「アジアで働く」を発信するため、実際に海外就職をしている経験者の方々にインタビューをしております。現在22歳でミャンマーで起業され、現在は東京とミャンマーで半年間ずつの拠点生活を実施中!日本人女性のリアルケーススタディです。

▼プロフィール概要

花澤光希 1994年3月生まれ 女性
滞在先:ミャンマー南部・Myeikベイ
雇用形態:自営(旅行会社Green Neco Co., Ltd.経営)
家族構成:父母が日本におり、ベイでは一人暮らしです。
ブログ:「南部Myeikでのミャンマー暮らし*東京ねこバー」
http://myanmartravel.blog.fc2.com/

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では早速インタビューですー!

【海外で働くキッカケや経緯を教えて下さい。】

私は18歳の頃、中卒の状態で採用してくれた音楽雑誌編集の会社で仕事をしていました。自分が将来海外に行くなどとは全く思っていませんでしたが、当時ステディな関係にあった男性が海外旅行の好きな人で、「タイやベトナムに行ってみたらどうか」と言われ、東南アジアに興味を持ちました。

忙しさに紛れて夏の間に取りそこねた「夏季休暇」を消化すべく、日本の秋口に出掛けたそれらの南国は、彼が言ったままに情熱的で生命力に満ちた場所でした。それまで東京という現代的に冷え切った都会を出たことのなかった私に、バンコクやホーチミンの町の熱気は衝撃を与えました。

その後、当時勤めていた音楽雑誌編集のブラック企業をパキッと辞めた私は、タイのバンコクに移住しました。なぜなら、このバンコクという街の持つ熱狂的な自由さに、豊かなくせに生真面目で息苦しい東京生活とは違う魅力を感じたから――

薄給だった音楽雑誌の編集を辞めたばかりの私は、マジですかんぴんの貧乏でした。日本の銀行口座にはそれなりに貯金があったもの、無職の状態で始まった移住生活なので、毎晩かさむ酒代はともかく宿代だけでも節約しようと思い、「カオサン」というバックパッカーが集まる混沌としたゾーンに居ついていました。

そこで、今のビジネスパートナーである「タムちゃん」というミャンマー人の男性と知り合ったのです。彼は非常にパッションのある男性で、「今はお金がないから仕方なくバンコクに出稼ぎにきているけど、本当は、よその国であるタイの繁栄のためになんか働きたくない。祖国ミャンマーの成長のために仕事がしたいんだ」と熱く私に語ったのです。

彼と酒を酌み交わして話を聞くうちに、私はすっかりこの「ミャンマー」という国の謎に満ちた魅力に獲りつかれてしまいました。

そして彼と一緒にパソコンでグーグルマップを見ていたら、ミャンマー南部に美しい島々があるのを見つけてしまったので「ほんじゃあこの島から一番近い、このMyeikベイって町に移って一緒に旅行会社とかレストランとかやろーぜ」とタムちゃんを誘い、タイの留学ビザが切れるなりサッサとミャンマーのビザを取得して南部の町Myeikベイに移住し、会社を立ち上げました。

それ以来、観光のハイシーズンである10月~3月はミャンマー、4月~9月は東京という半年ごとに両国を行き来する生活をしています。

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【いまはどんなお仕事をしていますか?】

あらかじめメールや電話で予約して下さったお客様や、ベイ現地でホテルから紹介されたお客様をメルギー諸島ツアーに連れて行ったり、現地での個人ガイド、運転手付きエアコン車の手配、ホテルや国内線の手配などをしています。

また、完全予約制ではありますが、自宅の一階で「東京ねこバー」というレストラン酒場をやっています。今年の乾期からは事務所の一画を利用してお土産物屋さんも始める予定です。

【いまのお仕事の面白さと大変さを教えて下さい】

死ぬほど美しいメルギー諸島のツアーアテンドで、何度も海に出られるのが幸せです。仕事だけど、自分もお客様と一緒になって楽しみながらいつも島巡りに出ています。

世界各国からいらっしゃるお客様とガンガンにビールやラム酒を呑みながら語り合って、仲良くなれるのはとても楽しいです。お客様にとっての「非日常」の中で生活している、夢先案内人のような存在になれればいいなと思っています。

大変なことと言えば、日焼けが気になることくらいですね。ミャンマー南部の太陽はマジで強烈ですから。日本に帰って来ている時、日本人の男性よりも自分の二の腕のほうが焼けているのを見た時ハッとなります。

【どうやってアジアでの仕事を見つけたのですか?】

これから注目を浴びることが予想されていたベイという町で、まだ未開拓だったこのマイナーな南部の町を盛り上げる事業がしたいと思い、自分で旅行屋を始めました。

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【海外に行く前に英語・ミャンマー語はどの程度できましたか?】

バンコクのカオサンで生活した9ヶ月の間、現地で知り合った各国の観光客やタイ人らと夜な夜な酒をカッ食らって語り合ううちに、英語とタイ語は自然と覚えていきました。

あとは、上に書いたタムちゃんというミャンマー人からミャンマー語も教えてもらったので、ミャンマーに住み始めた頃にはレストランの注文や買い物の際に使う日常会話程度ならできるようになっていました。

【今後はどんなキャリアやプランを考えていますか?】

現在は、まだ会社を立ち上げたばかりなので、今年の乾期のハイシーズンに向けて書類関係や挨拶周りなどの準備を、現地にいるタムちゃんにやってもらっています。

今後はひたすら今の事業が軌道にのるまでミャンマーと日本を行き来し、最終的にタムちゃんに全部任せられるようになったら南米のどこかの国に行きたいと思っています。なぜなら物価が安いと聞いたからです(笑)

【最後にアジア就職希望者にメッセージをお願い致します。】

私は、日本で組織に縛られて窮屈な思いで仕事をし、そうして得た賃金のほとんどを家賃に持っていかれるような人生を送るのがイヤで、コツコツ貯金した金を持ってアジアに飛び出しました。

もし、同じようにしたいと思っていて、でも尻込みしている人がいるとしたら、ちょっとバカになってみて下さい。頭のネジを一本抜いちゃって下さい。

将来の不安とか家族の制止とか言語の不便とかそういう現実的なことは考えるのをやめて、とりあえず行動してみたらいいと思います。やってみてダメだったらこの美しい日本という母国に帰ってくればいいんですから。日本のパスポートはマジ最強でございますから、こんな狭い島国は飛び出してガンガン外国行くべきです。

現地で企業を探すのもいいでしょうし、あるいは自分でやりたい夢があるならどんどんトライしてみたらいいと思います。現実に、22歳の小娘が持ち得る日本じゃクソの役にも立たないような金額で、自分の会社を設立して家も土地も購入して車まで買えますよ。アジアってば最高です。

日本からはもう失われてしまった、これから盛り上がろうとする国だけが持つ猛烈なエネルギーの渦中で仕事をする経験は、将来どこで暮らすにせよ間違いなく今後の人生の糧として生きてくると思います。来ちゃいましょう、アジア!

ブログ:「南部Myeikでのミャンマー暮らし*東京ねこバー」
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アジアマガジンからのコメント

等身大の海外起業の形で、20代前半の方には参考になるインタビューだったと思います。人との出会いからアジア移住をして、現地で起業するというキャリアも多くなってきそうですね!アジアマガジンでは今後もアジアで働くについて発信してまいります。


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