1987年の夏に、高校生を引率して、アメリカのオハイオ州デイトンでホームスティ体験をすることになりました。
1980年代は、日本はバブル経済と言われ、金余り状態の真っ只中でした。
1985年のプラザ合意に端を発して、1987年から1991年頃までバブル経済が続くわけです。
日米関係は、「ロン-ヤス」と呼び合うほどの親密な関係にありました。
日本は、中曽根康弘内閣でアメリカはレーガン大統領です。
そのような状況下で、日本がジャパンアズナンバーワンと言われるほどの経済的にアメリカを凌駕する勢いだったのです。
アメリカ人のボランティア活動の一環で受け入れてもらっていたのですが、買い物に糸目を付けない日本の生徒たちは「ショッパー」と呼ばれていたほどです。
1.国際生活体験について
1932年にアメリカのワット博士が国際生活体験(The Experiment in International Living)略してEILというプログラムを提唱しました。
世界中の人々が希望する国で、生活体験することで、お互いに理解し、尊敬し合うことで世界平和を促進するという主旨で始められました。
ホームスティがプログラムの中心であり、受け入れ国側がホームスティ先を準備して2〜3週間滞在して教育施設や都市見学をも行っていくものです。
このEILは、国際連合経済社会理事会とユネスコ国際NGOの諮問機関として承認されています。
2.出発から帰国まで
1987年7月30日(木)に、大阪を10時45分にJL 110で出発して羽田空港に11時45分に到着しました。
その後、成田空港まで行き、18時にJL002で出発して、時差があるので、7月30日(木)11時にサンフランシスコに到着しました。
サンフランシスコに2泊して、8月1日(土)10時5分にTW118で出発してセントルイスに15時44分に到着しました。
さらに、セントルイスを16時55分にTW078で出発してデイトンに19時3分に到着しました。
この日から、8月14日(金)まで14泊各家庭でホームスティします。
そして、8月15日(土)に、デイトンを10時15分にTW175で出発してロサンゼルスに15時1分に到着して、2泊します。
8月17日にロサンゼルスを12時にJL065で出発して、8月18日(火)に成田空港に15時15分に到着後、羽田空港を19時35分にJL127で大阪に到着したのは20時35分でした。
3.米国オハイオ州デイトンについて
デイトンは、オハイオ州の西部にあり、マイアミバレーの中心都市です。
ライト兄弟が誕生した土地柄か、デイトンの東部にライト州立大学があり、北東部にはライト・パターソン空軍基地があります。
この空軍基地内には、国立アメリカ空軍博物館があり、1909年にライト兄弟が開発したミリタリー・フライヤー号のレプリカや戦闘機などが展示されています。
アメリカのデイトン滞在で、アメリカの懐の深さを再認識しましたが、宗教を土台とした人造国家であるだけに、国意識を大切にしているのだと思います。
平日でも各家庭で国旗を掲揚している点が特に印象的でした。
最後に
今から30年以上前に、アメリカでホームスティ体験ができたのはラッキーでした。
まだ古き良きアメリカが随所に残っていました。
デイトン空港に到着した時には、すべてのホストファミリーが私たち全員の名前を書いたプラカードを高く掲げて盛大に迎えてくれました。
デイトン滞在中に、デイトン市長を表敬訪問したり、NCRやエアホースミュージアムを訪ねたりしました。
滞在最終日は、フェアウェル・パーティーを実施したのですが、デイトン市長夫婦も参加されて、盛り上がりました。
テレビ中継もされ、取材も受けたので、デイトンでの良い思い出になりました。
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