こんにちは!アジアマガジン(@asia_maga)です!アジアマガジンではタイに就職する人・働いている人を応援しています。タイの政治ニュースと言えば、クーデターやデモなどのイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか。ただ、同時にそもそもデモ等が何で起こっていたのかを知らない人も多いと思います。そこで、今回はタイの政治について少しだけお伝えしようと思います。
タイのどんな対立かというと
発端は、チェンマイを中心とするタイ北部の貧困層や農民(タクシン派)とタイ南部を中心とする既得権益を持った都市に住む中間層(反タクシン派)の対立から始まっています。これから、少し詳しくご説明していきます。
2001年からのタクシン首相の政権から始まります。
当初は大衆の要求に応えるスタンスとして、注目されていました。というのも、タクシン氏は元実業家という背景があったため、莫大な資金があると共に、ビジネスや経済に精通していることでも有名でした。
実際のタクシン氏の政治
タクシンは農村部に対して力を入れました。具体的に言うと、3年の借金返済の猶予期間を設けたり、すべての村に300万円を配る村落基金、安価での医療制度の確立などを約束していたほどです。タイの半分以上は農業に従事しているという事実から見れば、選挙戦略としては、合っていたかもしれません。
ただ、ここで黙っていなかったのが、都市部を中心とする中間層でした。恩恵を受けられなかった都市部の中間層などは反タクシン運動を始めました。また、タクシン氏がタイ北部のチェンマイ出身だったこともあり、タクシン氏が自身の私腹を肥やすための疑惑や、選挙などでの不正疑惑も浮上し、反対派の勢力が形成されました。
タクシン政権から現在に至るまで
2006年9月19日、反タクシン派を中心とした軍部は、タクシン氏が国外へ行っている間に、クーデターを起こしました。その当時、タクシン氏は滞在ニューヨークにいたと言われていて、そこから、点々と場所を変え、事実上の亡命を果たしました。その後、タクシン派か反タクシン派かで政治が左右されていくことになったのです。
このタクシン首相から始まった対立は長く続いており、2013年の年のデモ、2014年のクーデターといったかたちで伺うことができます。現在はその2014年のクーデター以来、プラユット首相の軍事政権が続いています。
終わりに
皆さんいかがでしたでしょうか。今回は簡単にではありますが、タクシン派と反タクシン派の説明をさせていただきました。日本と同じアジアの国が現在でも、軍事政権として成り立っていること、政府に対しての言論が自由でないという事実があるということは、皆さんも考えるところがあるのではないでしょうか。少し重い内容になってしまいましたが、この点も踏まえると、今後のタイの見方も変わるのではないでしょうか。
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